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わたしたちのおしゃれ 後編

 
アパレルブランド「 somewearclothing
デザイナー、パタンナー
ハチキリエさんと会いたい
 
 
 
 
ハチキさんインタビュー撮影: 野沢朋央( 株式会社HI!CHEESE )
タイトル&文: トミジュン

アパレルブランドsomewearclothingデザイナーパタンナーであるハチキリエさんにお話をうかがう
「わたしたちのおしゃれ」後編。

前編では、1970年代~1990年代前半ごろまでの東京の雰囲気や洋服についてのお話を中心に
「わたしって何を好きなんだろう」
と考え、専門学校でパターンを学び始め支援も得て、歩み始めたお話をうかがいました。
後半では、初めての就職から独立、現在の事業活動まで。
長文ですが、事業を始めたいと思っていらっしゃる読者さま、必見です!
 


 

インタビュー中

インタビュー中のハチキさん

 
 
 

筆者トミジュン以下「編集部」

「ちょうど男女機会均等法の改正とか、女性が働くことについて社会のありかたがいろいろ変わっていった時代だよね。
女性は正社員でも20代の間に結婚して退職する、なんてことが普通で、むしろ一生の仕事を考えての就職とか手に職を付けるなんていうのは当時少数派。
今では考えられないよね。ほんの数十年しか経ってないのに」
 

ハチキリエさん以下「ハチキさん」

ほんと、ちょうど女性の働き方が変わってきていた時代だったよね」
 

編集部

「専門学校で2年学んだあと、1995年、アンビデックスに就職したんだよね?」
 

 ハチキさん

「うん。このときアンビに入ることができたということも、とても大きな転機だった。
周囲から『養成所みたいだね』なんて言われていた会社で(笑)」
 

編集部

「あの頃(1995年頃)って、アンビもそうだし他のアパレル会社も中小企業規模の会社がビジネスを拡大して店舗も大きく展開して、その利益がファッション誌に流れてきてお金もひともものも循環している環境で。いろいろ活気があったし楽しかったよね。
そんな中、養成所的会社に受かって。」
 

ハチキさん

「最終面接で社長から『お前壁があるよな』って言われて、帰り喫茶店で『落ちたかも…』って落ち込んだけど、でも受かった(笑)
初めて親以外の他人からズバリと、人との距離感や表現方法の癖を見抜かれて指摘されたことに驚いて」
 

編集部

「大人からは見えるもんだよね。短所も裏返せば長所だし、特徴なんだよね。
そこで受かっていなかったらどうなっていたんだろ?」
 

ハチキさん

「どうなっていたんだろう……結構落ち込むタイプだから諦めて他のことを探したりしていたかも。やっぱりアンビに入ったことが大きかった」
 

編集部

「そうだね。ここでも大きな転機。
アンビに入って配属されたのがチャイルドウーマンなんだよね?
当時(1990年代後半)のチャイルドウーマンって、今(2026年)のsomewearclothingとめちゃくちゃ地続きな感じするし、ハチキさんの作る洋服は、1990年代から現在までずっとぶれずに軸があるってことだよね。
もっと言えば1980年代のドゥファミリィからもずっと地続きで変わっていない」
  

ハチキさん

「そうなのよ。あのころと今と、まったく変わっていないの(笑)
でも学校出ただけじゃゼロからパターンひくなんて難しいから、修正ばかり担当していて」
 

編集部

「学校出ただけじゃ自信は持てなかった?」
 

ハチキさん

「ぜんぜん持てなかった。アンビを辞めてフリーのパタンナーになって必要に迫られてからだよね。本当にパターンがひけるようになって自信がついたのは。やっぱり実践あるのみだねえ」
 


 
会社員時代に毎日大量のタスクをこなし、学びや失敗などを許してくれる懐の大きい会社で経験を積んだハチキさん。
しかし、5年ほど在籍したころ(2000年頃)退職を決意。
アンビデックスでの5年間は、20年ぐらいと感じるほど、濃い5年間だったそうです。
 


 

編集部

「退職に至った経緯を聞いていいですか?」
 

ハチキさん

「もともと洋服を好きで入ったけど、商業的な環境の中で扱うアイテム数が膨大だったから、なんだか疲れて好きじゃなくなってきてしまった。
『これでいいのかな』と思い始めてしまうとそこでひっかかって歩みが止まってしまう性格で。それでも続けることができる器用な人もいると思うけど、わたしはそうじゃないから立ち止まってしまって、つらかった。
二度と服なんか作らないと思って辞めた。次に何をするなんてこともまったく決めずに」
 

編集部

「まったく何も決めず?」
 

ハチキさん

「そうなの。何も決めてなかった。
けど、辞めた後、アンビのときに担当していた工場のひとから
『パターンが必要なブランドがあるから紹介したい』
とお話をいただいて。
二度と作らないなんて思っていたけど、でも、結局そのお話を請けた。
で、仕事になっていって
『あ、パターンって、お金になるんだ』と知った。
で、ほかにも、もともとのつながりあるところから自然な流れで受注して職業になっていった」
 

編集部

「自分が社会へ提供できることに、価値があるということを知ったのね。これも大きな気づきだね」
 


 
ハチキさんのパターンを必要としてくれる企業から声がかかって、
受注し納品し報酬が支払われる、という大事な経験があり、自然とフリーランスで生きる道ができた。
ここでもかなり大きな転機をむかえたハチキさん。
あとから考えると一生もののキャリアを手に入れ始めたのがこのころだと言えそうです。
 
もしかしたらハチキさんの歩みをラッキーだと感じてしまう読者さまもいらっしゃるかもしれませんが
ハチキさんは会社員時代に5年間毎日ものすごい量のタスクをこなし、あるていど手に職がついている状態且つ業界内で知り合いがいる状態、『キャリアを積んだ状態』で退職していたので『準備が整っていた』と、見ることができます。
そして何より「パターン」という、社会から求められる専門職だったということも大きいのかもしれません。
 
その後31歳でご結婚、34歳のときに長男出産、38歳のときに次男出産で一時キャリアがストップしますが、子育てをしながらも保育園が見つかったタイミングなどで必ず元のパターンのお仕事に戻っていたハチキさん。
『子どもの存在はとても大きい! 子どもが、自分へ大きなちからをくれた』
とおっしゃっていたのが印象的でした。
 
そんなハチキさん、44(2015)のときに、ひとりでアパレルブランドを創業。
パターンを受注する受け身の業態(一次請け、二次受け)から、能動的に世の中へ働きかけてゆくポジション(発注側)にご自分で意思を持って切り替えました。
ものすごい飛躍です。
 


 

撮影中

somewearclothingカタログ撮影のオフショット

 

 

編集部

「その頃(2015年頃)ってアパレル業界自体、縮小や業界再編がだいぶ進んだ時期だったと思うけど、ひとりの創業、大変じゃなかった?」
 

ハチキさん

「最初はマイナスもあったし、よくてプラマイゼロ。
並行してフリーランスのパターン業務も請け負って生計を立てるということが続いていたけれど、やっぱり最初は『わたしがよいと思ってつくったものが売れた、認めてもらえた!』という満足感、承認欲求が満たされた経験が原動力で。
 
でも生活もあるし、不安から請負のパターンの仕事を多くすると自分のブランドを作る時間が取れない。そこで5~6年目ぐらいからは意識してパターンの仕事を減らして、自分のブランドの比重を大きくしていったの。
『来月生活できるかな、どうかな』と不安を感じるのって結局お金のことじゃない?
で、補助金をさがす目的で商工会議所を訪ねて、それをきっかけに経営について相談したり学んだりし始めた」
 

編集部

「洋服が好きから始まって、勉強、就職、独立、自分ブランド創業と歩んだ。
そして、ここでいわゆる『マネジメント』を本格的に考え始めたのね。これもとても大きな転機だし進歩ね!」
 

ハチキさん

「そうなの。結局自分に合う補助金はみつからなかったけど、お金を調達(ハチキさんの手段は金融公庫からの借り入れ)して、きちんと事業として『回す』ということを学びながら実践し始めて、実行できるようになってきた。
チャンスがめぐってきたときに『お金が無いから作れない』じゃ、商売として成り立たないものね。
これはものすごく大きかった。
そしてそのタイミングでちょうどクラスカさんから『フェアをやりませんか』というオファーもいただいて、このとき資金調達していなかったらフェアもできなかったし、本当にいろいろうまく回り始めた」
 

編集部

「それは30年ほど前に専門学校へ行ってパタンナーを目指したのと同じぐらい、かなり大きな分岐点で大きく舵を切ったね。事業をやってゆくという覚悟がきまったというか」
  

ハチキさん

「覚悟がきまったね。そのとき確かに」
  

編集部

「経営相談へ行ったのは何歳ぐらいのとき?」
  

ハチキさん

「52歳ごろ」
 

編集部

「経営やお金について、知っていると知らないとでは全く違うよね。
お金だけじゃなく取引先も増えて、作る洋服の量も増えて、事業が回転し始めた」
 

ハチキさん

「そうなのよ! このことって、もしかしたら、よい洋服を作る知識よりも大事なことかもしれない」
 

編集部

「本当にそうだよね」
 

ハチキさん

「そうなってくると商品開発についても考えが変わってきて、現場である売り場の声をきいて売れるものを多く作ったり、研究し始めたの。
最初は『いいもの作りたい、それを認めて買って欲しい』の承認欲求から始まって、それで売れないと『あ~』って落ち込むこともあったけど、そこから進歩して、きちんと売れるものを作って他者へ利益をもたらしたいという考えに変わった。
そうすると『売れない、認めてもらえないんだ』なんて落ち込むということは無くなった」
 

編集部

「おお~! 大人になった!
商売、事業という軸がはっきりした!
与えて、回して、受け取って。ハチキさんの洋服を軸にして、素敵な循環ができた!」
 

ハチキさん

「そうなの~(笑) だいぶ大人になりました!
プライベートでもだいぶ考えが変わって、自分自身を信用して自分自身の足で立つことを決めて、立った!」
 

編集部

「おお~! 自立! (感動)
やり方を知って、自由度が増したんじゃない? マネジメントのスキルも上がっているし」
 

ハチキさん

「自由度……増しているんだとは思うけど、今でも毎日必死(笑)
でも工場も、少し大きなロットのところへ頼むこともできるようになったし、もともとお願いしている74歳の男性がやっている小さな工場とも、すごくいい関係を続けることができていて。
わたしのことを同等に扱ってくれて、わたしも対等な関係をこころがけて、7年ぐらいビジネスパートナーとして大切に取引を続けてるの。
そのかた、とっても元気で人生を楽しんでいるし、その姿勢を見ると『素敵だな』と思える」
 

編集部

「その工場との出会いも、かなり大きな追い風だったし、大きな転機だったのね。その74歳のかたを悲しい気持ちにさせたくないもんね」
 

ハチキさん

「一緒に仕事をする人を、自分の価値観に従って選ぶ、ということは大切なことだよね。本当にそう実感してる」
 

編集部

「これからも、ビジネスパートナーやお客様へ利益を渡して素敵な循環を回すことができるよう、いまの事業を続ける?」
 

ハチキさん

「うん、あと10年はいい形で続けたい。絶対やります」
 


 
自分はいったい何を好きなんだろう?
若いころに誰しもいちどは思う、疑問。
就職活動のときに考え始めたことをきっかけに
 
勉強→就職→独立フリーランス始業→ご自身のアパレルブランド創業→経営について学びと実践→社会へ素敵な循環を提供、そこから自分も利益を得る
 
という道のりを着実に歩んできたハチキさん。
地に足を付けて専門職を極めてきた30年だった、と断言できます。
好きな洋服のテイストはティーンのころからずっと
「ベーシック」「カジュアル」「ボーイッシュ(ユニセックス)」「品のよさ」
と、ぶれることなく軸があり
「土壇場にならないと動けない」
とおっしゃっていたけれど、その原動力は実はお子さんの存在。
子どもがいるから働けないなんてことはなく、その存在をちからにかえて頑張ってきました。
そのあたりはまた子育て特集のときにうかがいたいですね。
 


そんなハチキさんのブランド
somewearclothing
スパークルにてサンプルご試着可能です。
ECサイトもありますし、インタビュー中に出てきたクラスカさんでのフェアにも、よかったら足をお運びくださいね。
ハチキさんのぶれないベーシック、ぜひお手に取ってご確認ください。
 
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メールでもお待ちしておりますし、
お時間合えばぜひプレスルームでお洋服見ながらお話ししましょう~。