こぐま座くん
「明日のインタビューはハチキリエさんだよね。
おとなの女性に向けたブランドを主宰しているひと、なんだよね?」
トミジュン
「うん。そうだよ。」
こぐま座くん
「じゃあ、トミジュンがインタビューしてきてよ。
ぼく、明日の予定知らずに有給休暇取っちゃったから」
トミジュン
「ええ~ チームスでスケジュール共有してたじゃん。
……たしかに既読になっていないね。
わかりました。わたしがインタビューしてきます。
こぐま座くん結構日本のおしゃれ好きそうなのに、今回デザイナーさんから直接教わる機会を逃しちゃって残念だね。」
こぐま座くん
「うん。でも完成した記事を読むから大丈夫!」
トミジュン
「……そうだね。」
と言うわけで
2026年、こぐま座くんが有給休暇を取って地元へ帰省中の3月某日、somewearclothingのデザイナー、パタンナーであるハチキリエさんのアトリエにお邪魔してお話をうかがってきました。
前後編にわけてお送りします。
今回は前編。
筆者(編集部、トミジュン)は1990年代頃からハチキさんの古い友人関係でもあり現在も一緒にお仕事している関係でもあり(でもこの記事はタイアップ広告ではないですよ、ねんのため)。
ハチキさんは1972年生まれ、筆者は1971年生まれ
育った場所もお互い東京都、ハチキさんはアパレルパタンナー、筆者は元スタイリスト兼エディターライターという近い世界で働き続けてきたこともあり、かなり同年代トークが混じっています。
ぜひ「あ~あったよね」「うん、うん」という暖かい目でご高覧いただけましたら幸いです。
読者の皆さまのおしゃれの源流と現在の着こなしなども、機会があったらぜひ教えてくださいね。
筆者トミジュン以下「編集部」
「お忙しいところお時間頂戴しましてありがとうございます。
どうぞよろしくお願いいたします」
ハチキリエさん以下「ハチキさん」
「よろしくお願いします」
編集部
「今までのハチキさんの経験談や洋服に対する思い入れなどを聞くことができたら、
『自分でお店やブランドを立ち上げてみたいな~と考えている女性』のヒントになることもあるかなと思います。ぜひそういうことも含めていろいろ聞かせてくださいね」
ハチキさん
「あんまり夢のある話じゃないけれど(笑)」
編集部
「いやいや、そんなことないと思うよ。
まず子どものころ(1970年代後半~)のことを聞いていいですか?
子どものころはおしゃれ好きだったりしたの?」
ハチキさん
「実家近くの、洋服も売っているけど生活雑貨なんかも売っているショッピングセンターみたいなお店へ行って親に買ってもらってたんだけど、スタジャンのフードの真ん中がジッパーでわかれるようになってるタイプのものを買ってもらったことをすごく覚えてる」
編集部
「わかる、わかる~。ジッパーをあけるとフードがわかれてセーラーカラーになるタイプのスタジャン! わたしも持ってた!(大喜び)
わたしはフリフリしているガーリーな襟のブラウスをあえてそのスタジャンに合わせていたんだけど、そういうの着た?」
ハチキさん
「あ~あったね、そういう着こなし。今(2020年代~)と同じ流行だよね。
わたしはそういうフリフリした襟のブラウスは着なかったんだけど、友達がやってたな。
あとわたしはプリーツスカート着たり、後ろが長くなっていて前で結ぶことができるシャツなんかも気に入って着てた」
編集部
「そういう着こなしもあった、あった!
ちなみにスタジャンの色はやっぱりネイビー?」
ハチキさん
「スタジャンはグレーだったんだよね。
みごろが濃いグレーで袖だけ薄いグレーで」
編集部
「あった! グレーのスタジャンあったね~(大喜び) 袖のとこだけ合皮の白もあったね! (おとなのスタジャンは袖部分が本物の白いレザーだったはずだけれど、子ども向けのスタジャンの袖はだいたい白い合皮でした)」
ハチキさん
「わりと地味におじさんぽいのが好きだったな(笑)」
編集部
「あとあれは? パステルカラーとかも通った? パステルカラーのピンクやミントのギンガムチェックとか」
ハチキさん
「通った、通った! ミントとピンクのデッキシューズ履いてた! 制服に合わせて学校に履いていったらヤンキーに目をつけられて、学校ではこういう靴は目立つんだなと学んだ(笑)」
編集部
「おしゃれだと目立つからね(笑)
でもあの頃(1980年代前半)中学生だった女子は、普通の制服に普通の白いコンバースのバッシュを合わせるのじゃ飽き足らず、変わった色のパステルカラーのバッシュとかを履いてたよね(笑)」
ハチキさん
「バッシュ! そうそう(大喜び)。バスケとかやらないけどみんな履いてたよね(笑)。
わたしはケッズだったな~。
いまでもパステルミントやパステルピンクを見ると、ときめくよね」
編集部
「わかる! ときめくよね(笑)
ここまでは小中学生時代のおしゃれ履歴(主に1970年代後半~1980年代前半)だけど、高校生になってから(1980年代後半)はどうだった?」
ハチキさん
「高校は制服がなくて自由な学校だったの。だから制服が無いにもかかわらずビーバップハイスクールみないな格好で登校する男子もいたり(笑)
わたしは『ドゥファミリィ(DO!FAMILY)』だったな。ともだちはIS着てた」
*ドゥファミリィ:1970年に誕生し2025年に55年の歴史に幕を閉じたアパレルブランド。
ベーシック、カジュアル、ガーリーとボーイッシュのミックスコーデ、日本製にこだわったもの作り、そして着やすくお値段もお手ごろなのにとても品の良さを感じる商品構成。雑誌「MCシスター」や「オリーブ」などに常に掲載され、当時の原宿発ティーン向けブランドの中で確固たる地位を築いていた。
編集部
「着てた、着てた(大喜び)! ドゥファミ(と親しみをこめて略称で呼んでいた)大好きだったな~! わたしの友人はVIVA YOUも好きだった。
ドゥファミ、めちゃくちゃ大事に着てたよ~。完全に同年代トーク(笑)」
ハチキさん
「人気だったよね~、当時ね。ドゥファミって作りも結構しっかりしていたしね」
編集部
「ドゥファミを好きだったって、今のハチキさんとsomewearclothigの洋服たちを見ると、なんとなくわかるね」
ハチキさん
「そうなんだよね。今も変わっていないんだよね(笑)」
思わず同年代トークで盛り上がってしまいましたが、きっと現在50代の女性読者さまは共感してくれるはず。
実際ドゥファミを着ていなかったかたも
「わたしは渋カジ派だったけど、クラスにドゥファミ着てる女子いたな」
なんて思い出したりするかも?
笑顔で同年代トーク
ここまで一貫して
「ベーシック」「カジュアル」「ボーイッシュ(ユニセックス)」「品のよさ」
を選んできたハチキさん。
高校卒業後おとなへ近づく多感な時期、どんな道を辿ったのでしょうか。
編集部
「もともとおしゃれや洋服を仕事にしたいと考えたことはなかったの?」
ハチキさん
「まだその頃は洋裁にも目覚めてなかったのよ。
3歳のころから英語習ってて、ずっと続いていて英語好きだったから短大の英文科へ進んだの。
その学校がカナダへの留学プログラムがあって。シングルマザーのおうちへホームステイしてそこの子どもたちとコミュニケーションしたり」
編集部
「そこまでは英語を選んでいたんだね。そこから急にファッションの道へ行ったのはなぜ?」
ハチキさん
「MCシスターとかオリーブとか大好きだったけど、その世界に自分が入ることができるなんて当時は想像もしていなくて。
普通に就職活動をする、ってなった時に友人たちは特に英語やカナダと関係なく大手自動車メーカーなどに就職してるのをみて
わたし、何を好きなんだろう?
ちゃんと考えないと就職できないかも、と思って。
『今はやったことないけど、専門学校へ行って習ったら自分でもファッションの仕事をできるんじゃないか』と考えて、オリーブの後ろとかに広告を出してた専門学校でパターンの勉強をするために1年間アルバイトしてお金をためたんだ。
そのときのバイトで知り合ったのがミユキちゃん(こぐま座ブックスWEBマガジンのTOPページイラストや星占いページのイラストを描いてくれた、現在は靴のデザイナーをしている女性。当時(1990年代初めごろ)筆者とセツモードセミナーのクラスメイトだった)」
編集部
「タンタンショップでバイトしてたんだよね」
ハチキさん
「そうそう。今思うと出会いもあってよかったのかもね。
自宅住まいでタンタンショップでバイトして入学金と1年分の学費をためることができて、そのまま深くは考えずに専門学校へ入って昼はパターンの勉強、夜は懐石料理屋さんのアルバイト生活。
もともと2年間パターンを勉強するつもりで、1年目は貯金から入学金と授業料を支払って、2年目は奨学金を借りようと考えてたんだけど、そのとき初めて、家族が奨学金の保証人も頼めない金銭状況だということが発覚して。
学校の事務局のひとへ「授業料が支払えない」と相談をしたら学長へかけあってくれて。
あんまりこれ書いちゃいけないのかもしれないけれど、学長から
『学費は、就職したら毎月必ず返してもらうという約束で、2年目もこのまま勉強を続けてみては』
と言ってもらえて、2年目もパターンの勉強を続けることができたんだよね。
いまならコンプライアンスが、とかルールが、とか、いろいろあってこんなことないのかもしれないけど」
編集部
「昔はおおらかだったんだよね。
それに何かチャレンジしたりするとき、決まって
『応援する』
『いいじゃない、やりなさいよ』
と、背中を押してくれるひとが表れて、その道が開けたりつながったりするよね。
ハチキさんの歴史の中で、このエピソードは結構大きなターニングポイントだね!」
ハチキさん
「そうそう。なぜか背中を押してくれる出会いって要所要所だいじなときに、あるよね。
記憶違いなのかな? とかも考えちゃうけれど、でも自分の経験でなくてもあの頃の世の中の雰囲気として、結構そういうのってたくさんあった気もする。いまはそういうのって少なくなっているのかもしれない」
編集部
「ファンタジーかな? でもあれって記憶違いじゃないよな、みたいなね。
でもやっぱり、最近はそういうの減っていると言われるとそうなのかな……
ルールにのっとった投資増資みたいな話はたくさんあるんだろうけどね」
ここまでハチキさんの子どものころから学生時代の終わりまで、洋服にまつわるお話を中心に1970年代後半から1990年代初めごろまでのおしゃれ同年代トークの内輪ウケで笑ったり、
当時の東京の雰囲気を懐かしく振り返りながらお話を聞きました。
何かチャレンジをするときに、要所要所で背中を押してくれる出会いが必ずある
当時はあまりわかっていなかったけれど、あとから振り返ってみると『ひとつめのだいじな出会い』に、このころ既にめぐりあっていたハチキさん。
直感で、軽い気持ちや憧れで好きな分野へ進もうと決め(女子は結構そういう感じで選択や決断をするひとも多いかもしれませんね)、そのことを現実にするためにまずはアルバイトをして貯金したり学費の工面を事務局へ相談したり、若いころの彼女なりに責任を持って進んだところがとても素敵だなと感じました。行動すると道は開けるものですね。
後編は4月16日アップ予定です。
アパレル業界への就職や当時の東京在住女性の就職事情、
そして結婚出産と仕事のバランス、ハチキさんのブランドの経営が軌道に乗るまでの出会いや道のりなどを公開します。お楽しみに。
同年代トークは、機会があったらぜひ同年代の読者さまとも直接お話ししたいです。
そんな会を開きたいと思ってくださったかたはぜひ「お問合せ」やインスタからお気軽に筆者までお声掛けください!
プレスルームでお洋服見ながらお話ししましょう~。
単なるサンプル試着会&お茶会&おしゃべり会とも言えますが(笑)