夫と子供を大阪に置いて、ひとり東京に出てきたやまぐちめぐみさん。
「自分自身を生きる」
と決め、1997年に31歳で第二の人生をスタートさせたそうです。
「やまぐちめぐみ作品集 新装版」後半部分の文章たちがとても詳しく説明してくれていて、めぐみさんご自身の言葉で語られている文章も読むことができます。
めぐみさんご自身は初めての上京で吉祥寺に職と居を見つけ、
そこからのご縁で「カルマ」というお店で食の仕事に生活を見出し、
そこでの出会いで自身の感受性の蓋を開き絵を描き始め、
34歳ごろからセツモードセミナーで学び生きがいにたどりつき、
免疫の病気を発症しながらも自身のアートを完成させるべく描き続ける人生を選択。
2015年9月に亡くなるまで「自分自身で生きる」という決意を生きることができた女性です。
その決意をかなえてくれるひとびととの出会いがあった。
生があって死があった。
生まれて生きて死ぬという、すべてのひとに平等に与えられているストーリーではあるのですが、彼女が大量の絵を描き残した画家だったということ、その残した大量の絵が現在もとても強く美しいちからを持ち続けていること、その2点がこのストーリーに光を与え続けています。
やまぐちめぐみさんが生きていたらご本人にお話をうかがいたいところですが、
このたびご縁を得てめぐみさんの娘さんである梅地萌美さん(以下もえみさん)にお話をうかがうことができました。
今回はめぐみさんの絵画について、そして母と娘、女性の生き方についての考察がメインの記事ですが
シスターフッドや死別、アートとビジネスの関係など、何重にも興味深い切り口が見えてきます。それらの切り口は、別の機会に。
めぐみさんの長女であるもえみさんは2026年5月現在36歳、3歳の女の子と生まれたばかりの男の子を育てるお母さんでもあります。
女性の課題を扱うマガジンですので、めぐみさんの絵についてはもちろん、女性の生き方についてなどもうかがいました。
編集部
「もえみさんもおふたりのお子さんのお母さんとのことで、ご自身の家庭生活は順調ですね。めぐみさんにとってはお孫さんがおふたり。
もえみさん自身の、子育てより以前、ご自身の専門分野ですとか選んだ生き方などをよかったら聞かせてください」
もえみさん
「どこまでご存じかわからないですけれど……」
編集部
「何も知らずに直感だけで取材のご相談を差し上げてしまいました。うかがってよいですか?」
もえみさん
「はい。
2013年24歳のころから2021年に帰国するまで、ドイツに住んでいました。
資金面で親からの援助をうけていなかったので、まずビザがとりやすい国で検討し、オーペアという住み込みのベビーシッターなどで働き居住の基盤を得る制度を利用して移住しました。子供も好きだったしヨーロッパの他の国に比べると移住しやすい環境がドイツに既にあると感じ選びました」
編集部
「何か専門のお仕事や勉強はありましたか」
もえみさん
「ほとんど日本語に触れない環境ですごし、ドイツ語とドイツ文化を現地の家庭で暮らしながら学びました。
ドイツ語をある程度習得できた段階でもドイツに残りたい気持ちがあったので現地で就職活動をし、貿易の仕事に就きドイツでの生活をつづけました」
編集部
「2021年に日本へ帰国したということですが、何かきっかけはあったのでしょうか」
もえみさん
「渡独当初は、ドイツの人々よりもドイツ語とドイツ文化を極めたい、という決意を持って勉強していましたが、長く暮らすうちに『死ぬまでずっとドイツにいるわけでもないかもなあ』と、うっすら感じている自分もでてきたんです。
ドイツで既に現在の夫と知り合っていたこともあり、夫が仕事の都合で日本に帰国するとなったときに、このままついていかなかったら、多分もう会わなくなるのだろうなと思って」
編集部
「素直に自然にご主人と一緒にいたいと」
もえみさん
「そうなんです。ドイツには8年いたので、あるていど納得ゆくまで自分の選択を実行したということについて満足してもいたし、ドイツ語とドイツ文化、貿易のキャリアは帰国しても継続できると考えて、自分の道を手放すという感じはなかったですね」
編集部
「そうなのですね。わたし自身若いころは、母との葛藤で結婚や子育てと仕事のバランスについていろいろ考えることも多く、だいぶ回り道の人生を送ってきたのですが、もえみさんは抗わずに、そのときどきでご自身のキャリアも結婚出産も、素直に選んで実行していらして素敵ですし、とても強いですね。
もえみさんご自身は子供のころお母さんであるめぐみさんと別れたわけですが、そのあたりのことをうかがってよいですか?」
もえみさん
「母と別れたのは小学校2年生の時です。
それまでも両親が喧嘩していたので、兄と『両親がわかれたらどっちについていこうか』
『お母さんのほうについていこうか』など話し合っていました。
でも父が子どもたちを大好き、手放さないということだったようで、父のもとに兄もわたしも残ることになったんです」
編集部
「娘さんをとても好きで愛してたんでしょうね、きっと」
もえみさん
「そうですね(笑) そうなんですけれど、重いというかなんというか……(苦笑)
わたしが晩ごはんを作ったり、普通とは少し違う家庭でした」
編集部
「強制的に周囲から大人になることを選択させられたのね。わたしだったら盛大な反抗期で抗ったり捻くれたりしちゃいそうだけど、ティーンのころのもえみさんはその場にとどまった」
もえみさん
「でも、特に選んだつもりもなく自然にそうなっていたので、なんというか素直、そういうもんなんだと思って、そのときにはあまり気付けなかったんです。
まず一人暮らしをして『あー』と、家族から離れてひとりになって力が抜けてラクになったことに気付いて、そしてドイツへ行って周囲から『そういうのはフェアじゃないし両親の選択の犠牲にならずに、あなたはあなたの人生を歩むべき、対等な人間であれ』というような言葉をもらって『あ、わたしのもやもやは当たり前に感じていい権利だったんだ』と気付いて」
編集部
「大きな大きな気づきでしたね。ご両親ともお子さんであるもえみさんを愛していなかったわけではないのでしょうけれど、とても不器用だった。
もえみさんも、根底にご両親を好きと言う気持ちも当然あったのでしょうね。
でもドイツへ行って、もえみさん自身のあしで立って、きちんとご自分の感覚や人生をご自分の手につかむこともできた。
お母さんであるめぐみさんとの再会はありましたか?」
もえみさん
「20歳のときに再会しました。
祖父から『お母さんが重い病気だから、会いに行ったほうがいい』と勧められて、兄と二人で東京へ会いに行ったんです」
編集部
「膠原病ですよね。わたしもわたしの母も膠原病なので、作品集の文章を読んで、すぐわかりました。
再会して、どう感じました?」
もえみさん
「どうやって生計立ててるのかなあと思いました。
実際には、カルマでのお仕事、お菓子作りのお仕事などを掛け持ちすることで生計を立てていたようです」
編集部
「ああ、確かにアートに生きるって、家族はそこ考えちゃいますよね。
めぐみさんは、めぐみさん自身の行動や出会いで、めぐみさんにあった生計を立てる方法を作っていった感がありますね。
お母さんの絵についてはどう感じました?」
もえみさん
「あまり好きじゃなかったんですよ(笑)」
編集部
「そうなんだ⁉」
もえみさん
「病気だったせいか暗いし」
編集部
「ああ、でもあの暗さって、もえみさんも選んだドイツやヨーロッパの曇りの日の感じに似てますよね。あと、あの暗さや青いいろは、深層心理、こころのふかいところの感性を開いて表現しているように見えます。
めぐみさんが亡くなったときはもえみさんはドイツに居たということですか?」
もえみさん
「そうなんです。母が亡くなったあと、ドイツへ絵がたくさん送られてきて、実際に飾ってみて母の絵を好きになりました。
データで見るのと、実際の絵を見るのは、違っていました」
編集部
「めぐみさんの絵は本当に強いちからがありますよね。
ご本人が亡くなっても、絵に閉じ込めたエネルギーが生き続けている絵。
再会したあと、交流は結構あったんですか?」
もえみさん
「20歳で再会してからは頻繁に会ったり、ドイツへ行ってからもLINEで頻繁に会話したりしていました。
普通に母と娘のやりとりで。
母から『やりたいことをやったほうがいい』と言ってもらったことも、ドイツ生活を納得行くまで選んだことにつながっています」
やりたいことをやったほうがいい。
めぐみさんは病気で死までの時間が短く、凝縮して情熱を注いでいたように見えますが、人間は誰でも平等に致死率100%なので、本来はわたしたち皆全員がそういう時間の中を生きていて、実は「次回」なんてもうないかもしれない時間の連続と言えます。
死までの時間が短いことなんて考えもせず
「やりたいこと……今日はまあいいか」
なんて後回しにしたりして、限りある人生だってことを、つい忘れてしまうわたしたち。
離れていたことで、母娘ともに苦しみもあったと想像します。
女性としての人生の選択について、お母さんの影響などをうかがいました。
もえみさん
「母は、生きているうちはそんなに有名でもなくブレイクしているわけでもなかったと思うし、頑張っていたんだと思います。
子育てについても、今は女性の自由や尊厳を言う世の中に変わってきていて、本当は子育てと自己実現のふたつを叶えることもできるのかもしれないし母もそうしたかったんだろうと思いますが、昔はそれは簡単なことではかったように思います。
『女性とは男性に縛られる、女性は男性のもとにいるべき』という社会通念のようなしばりがあって、自分自身の自由を選びたいとなったときに、上手に選んだり周囲を説得したりできずに『ひとりで出ていく』という選択になってしまったんだと思う」
編集部
「きっとお父さんもお母さんも、子どもたちへの愛情は有り余るほどあったんだと思うんだけれど、当時の世の中の、女性の自己実現に関する背景や不器用な形の愛情など、いろいろな状況や思いが重なって上手に選択できなかったんだろうと想像します。
『女性は男性の下にいるべき、女性は男性の下で守ってもらう人生が幸せ』という当時の社会通念という見えない壁を、静かな決意でもって乗り越え飛び出したのが、めぐみさんの生き方だったのね」
もえみさん
「そう。本当にそう思います。
母が亡くなって、今もさまざまなかたが、母が生きていたことや母が残した絵を取り上げ、世の中に残そうとしてくれているのを見ると、母が生前東京でご一緒していた周囲のかたたちと母との強い絆を感じます。
わたしも、母の絵がきっかけのご縁でこうやって初めましてのかたとつながったりお話しする機会もあったりして、その不思議なご縁は、母が残してくれた素敵なものだなあと感じますね。
母の絵を『好き』とおっしゃってくださって、嬉しいです!」
娘を置いて自己実現を優先したお母さんであっためぐみさん。
決意と覚悟を持って自分自身を生き、めぐみさんの描いた絵画たちは、今も美しいちからを持ち続ける。
娘であるもえみさんは、母親を恨んだりせずお母さんの背中に習い、ご自身も人生を選ぶ決心をしドイツへ行き自己実現をはたし、その後自然な流れでご主人と一緒になり自然な流れで授かったお子さんふたりを育てていらっしゃる。
そして今も、めぐみさんが描いた絵画たちが、その美しいちからで、もえみさんへさまざまなご縁を運び続ける。
めぐみさんも、もえみさんも、母娘揃って器が大きく美しい。
もちろん綺麗ごとではなく、たくさん苦労なさったことも念頭に置き、
そのうえでそう感じてしまいました。
アートは孤独に宿る。
ひとり、ひとつずつ、必ず持っている美しいもの。
誰かと一緒に暮らしていても
ひとりぼっちで生きていると思ってしまうようなときも、
いつでも誰の中にも、その美しいものは存在し続けています。
その、大切な美しいものをしまっておく、こころの深い場所の蓋
それを開くか閉じるかは自由。
いつでも誰でも、自分自身で決めることができるのです。
絵の中に描かれた瞳が、まっすぐわたしたちを見つめ、強く問いかけます。
自分自身の「本当」で生きること。
とても美しいちからで、今後もずっと、永遠に。
わたしたちへ問いかけてくるのです。
〇2026年5月現在購入することができる、やまぐちめぐみさんの作品集
「やまぐちめぐみ作品集 新装版」
ミルブックス
2023年10月23日初版
定価2,000円+税
ISBN978-4-910215-16.7 C0071
〇2026年5月現在、やまぐちめぐみさんの原画を見ることができる場所。
宿、ギャラリー、そしてオンラインショップも。
鳥取 青宿
ただ好きな時間に、好きなように過ごす旅。
〇高円寺にある「アムレテロン」で5月と7月に原画展が開催されます。
原画の販売もあります。
やまぐちめぐみ原画展 -いつかみたあのこ-
本を読んでた あのこ
花を摘んでた あのこ
目が合うと にゃーと言った あのこ
ほっかむりしてた あのこ
ひなたぼっこしてた あのこ
風とあそんでた あのこ
咲き競ってた あのこ たち
いつかの めぐさん
めぐる季節 あのこ 思い出す
会期
5月 2026年5月9日(土)~ 6月1日(月)
7月 2026年7月11日(土)~ 8月2日(日)
時間 13:00〜19:00 日・祝は18:00まで 5月10日(日)は17:30まで
不定休(おやすみはインスタグラムでご確認ください)
場所 Amleteron(アムレテロン)東京都杉並区高円寺北2-18-10
*アムレテロンは、ひとりになってたのしむ店です
*インスタグラム固定投稿「ご来店に関するお願い」を必ずご一読ください